2012年03月19日

オトナもコドモも夢中!

旅チャリスタッフのアサです。


外へ出かける時はまだコートを手放せない日が続いていますね。
春の暖かい日差しが待ち遠しいですが、1日1日春が近づいてきているのを感じます。
京都の桜を楽しみにされている方もたくさんいらっしゃると思います。
あと2週間もすれば京都も桜色に染まりますので、もう少しお待ちくださいませ。。


さて今回は、桜のシーズンを迎える前に京都にはこんな新しい観光スポットがオープンしましたので、さっそく旅チャリに乗って行ってきました!
お出かけしてきたのは、3/14に京都市下京区梅小路公園内にオープンした「京都水族館」です!!

京都東急ホテルからはスゴく近い!ゆっくり走行しても約10分で到着します。
まずは自転車を駐輪しないといけないのですが、もちろん駐輪場もちゃんと完備されています。

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駐輪場は水族館の東側、大宮通り沿いにあります。
料金は1日150円で、3時間までは無料で利用することができますよ。

自転車も駐輪したのでこれで安心。。それでは水族館へいってきまーす!

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「京都水族館」は国内最大級の内陸型水族館。
実際に水族館へ行くまでは「梅小路公園に水族館の建物があるなんてちょっと違和感があるんじゃないの?」なんて思っていたのですが、
これが不思議なくらい梅小路公園の景色に溶け込んでいて、ずいぶん前からこの場所にあったかのような景観と調和のとれたすばらしい建物でした。


水族館の中は、「京の川ゾーン」、「海洋ゾーン」、「大水槽」、「イルカスタジアム」など9つのゾーンにわかれています。
京都市内でイルカやアザラシ、オットセイをみることができるなんて今まででは考えられないことが、この春現実になってしまいました。
中でも私が長く見ていたゾーンが「ペンギンゾーン」!!


ペンギンってなんでこんなにカワイイんでしょうね。。
立ってる姿だけでもカワイイのに、外から見ているお客さんの方へチョコチョコと歩いてきてくれるんです。
私もこの時にパチリと1枚!

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この他にもっといろいろな写真があるんですが、これから水族館へ行かれる皆様のお楽しみのために、私だけの写真にしておきます。。

そして館内には3店舗のカフェもあり、その中のひとつ「かいじゅうカフェ」ではイルカやアザラシやカメの形をした館内限定の「すいぞくパン」が販売されています。
このパン、数に限りがあってすぐに売り切れてしまうそうです。
出口が近くなるとおみやげもたくさん売っていますので、最後の最後まで水族館を楽しむかとができますよ!


さぁ、この春は旅チャリに乗って京都の新名所「京都水族館」へ行ってみましょう!!
posted by 旅チャリスタッフ at 05:00| 京都 ☁| 市内中心部 | 更新情報をチェックする

2012年01月23日

幸せのカタチ

新しい年になり、1回目のブログをUPするアサです。
ご挨拶が遅くなりましたが、明けましておめでとうございます!

昨年中は旅チャリブログをご愛読いただき、ありがとうございました。
今年も各ステーションのスタッフが京都のオススメスポットをご紹介していきますのでどうぞお楽しみに!

さて、それではさっそくアサのオススメスポットをご紹介します!
今回お出かけ先に選んだのは、京都市上京区にある 「幸神社(さいのかみのやしろ)」。

えっ、それどこ?って思われた方、多いと思います。
というか、私もその1人です。

知らない名前の神社でしたが、「幸せな神社」って書くんですよ!
これは行ったら何かいいことがあるかもしれない!!ってことで、即、お出かけ先に決定しました。
京都東急ホテルからは、旅チャリで約30分。
場所は寺町通りと今出川通りの交差点を北上、1本目の道路を左折してすぐ右手にありました!

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この「幸神社(さいのかみのやしろ)」は、とっても小さな神社で、住宅街の中にありました。
取材に行った日が平日の午前中だったということもあり、ものすごーく静かでした。。
中に入るとすぐに拝殿が見えます。

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拝殿の正面にはお猿さんが描かれた絵馬がびっしりとぶら下がっていました。
というのも、ご祭神が猿田彦大臣(さるたひこのおおみかみ)だからだそうです。
縁結びにご利益があって、地元では「さちじんじゃ」の愛称で親しまれているそうです。
今年こそステキな出会いを!願うアナタはぜひ「幸神社」にご祈願を。。

旅チャリのブログ取材に行ってから、行く度に幸せを祈願をしてきたアサですが、今回もまたまた祈願。。
そしたら、神社の中でこんなステキなコに出会ちゃいました!

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ネコ好きの私にとってはものすごくテンションがあがる出会いでした。。
この日はお天気がとっても良くて、拝殿前はポカポカ。
いちばん日当たりのいい場所に白いネコちゃんが眠っていました。
しかもこのネコちゃん、私が近寄ってもまったく逃げる様子はなく、逆にそばに寄ってきてくれました。
そしてアタマをなでなで。。背中をなでなで。。あー幸せ。。。
些細なことなんですが、すごく幸せな時間でココロ癒されました。
あまりのかわいさにもっと「幸神社」にいたかったんですが、取材終了の時間がせまってきていたので、後ろ髪をひかれながら東急ホテルへ帰りました。。。


今年は「幸神社」で感じた「身近なところにある幸せの瞬間」を大切にしながら1年を過ごしていきたいと思います!


それでは、この旅チャリブログを読んでくださっているすべての皆様が、笑顔あふれる1年になりますようお祈りしています。


どうぞ今年も「旅チャリ」をよろしくお願いいたします!!
posted by 旅チャリスタッフ at 06:00| 京都 ☁| 市内中心部 | 更新情報をチェックする

2011年12月25日

No,I don't know it.

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クリスマス・ツリーの星のまたたきをあの時消えた人も見ている

メリークリスマス!旅チャリスタッフのミヤです。

この行事の巡って来るたびに魂の不死について考えてしまいます。
ご冥福を祈るというとき、その言葉が単なる形式的な挨拶でないのならば、魂の不死を前提に置いている筈です。
死は眠りに過ぎない、死んで眠って、ただそれだけなら。
いや、眠れば夢も見よう。

ハムレットの台詞です。
もし、死が全くの無であるならば、イエスが十字架上で死んだ事にも全く意味が無かった事になります。
私は信仰を持っておりませんので、この深刻な疑問については、タイトルのように答えるしか能がありません。


今回のブログのテーマは、能、にしようと思いました。
世阿弥の申楽談儀の中に同時代の役者の演技を絶賛して、冷えに冷えたり、と言っている部分を見付けました。このごろの京都の味わいを表すのにもぴったりの言葉でしょう。
華やかだった季節が過ぎて、今、京都という都会は冷えに冷えつつあります。
深刻な一年でしたが、どの年も暮れてゆくときには寂び切って、浄化されてゆくように思います。
冷えが心理に及ぼす効果です。


東急ホテルから堀川通りを南へ、西本願寺の門前を過ぎて七条通りで東に折れ、七条大橋で鴨川を渡って国立博物館と三十三間堂の間を旅チャリで走ります。
七条通りの突き当たりは智積院で、枯れ寂びた冬紅葉を横目に見ながら東大路通りを下がりますと、約20分で新熊野(いまくまの)神社に辿り着きます。
その境内に有ります能の石碑です。

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この場所で観阿弥と世阿弥の父子が能を演じたのを足利3代将軍の義満が目にとめ、大衆芸能だった能を支配層が珍重し始める機縁となります。
世阿弥はこの時わずか12歳、神童で、しかも絶世の美少年です。
風姿花伝に言う、時分の花の盛りの頃、10代の後半だった青年将軍に惚れられてしまったようです。
しかし、時分の花はまことの花ではありません。
加齢と共に衰える肉体の美を越えたまことの花を見出だして能を大成するための長い努力の道のりがここから始まったのですが、ところでこの真ん中に能と刻まれた石、人間の脳に似ていませんか?


若い頃、学校の事務員をしていた事があります。
備品の帳簿と現物との照合をする為、育児学教室担当で医師でもある教官の許可を得て研究室の隅をごそごそ探っている内に、昔も今も仕事にそつの無い私の事、脳のホルマリン漬けの標本を倒してしまったんですね。
強烈な刺激臭がしました。パニックに陥った私は、ホルマリンが全部外にこぼれたガラスの容器に、床に落ちた人間の脳を確か5つ、素手で拾って戻したのですが、あの時の重さと手触りは、私の脳の片隅に今でもくっきりと留まっています。
もし魂が不死だとしたら、あの時の私の行為を、かつてあれらの脳に宿っていた魂が見ていたかも知れない。
写真を撮れば心霊が、能面のような不思議な顔付きをして宙に浮かんでいるのが写ったかも知れない、などと思います。
能について何か書ければ良いと思いましたのに、脳の話になってしまいました。ごめんなさい。

今回、白洲正子の文章、吉越立雄の写真による「お能の見方」という本を読んだり眺めたりしている内、猛烈にお能が見たくなりました。
(これ名著です。ご一読をお勧めいたします。私も出来れば猛烈に旅チャリに乗りたくなるようなブログを作りたいのですが、力及びません、残念です。)

今まで能を見てもあまり面白いと思えなかった私も、機会が有れば見て味わいたいと思うようになったのですが、京都には能楽堂が多いとはいえ、切符はお安くはない。10曲ほどは見ていますが、それではとても足りないでしょう。
努力して初めて分かる、能はそういう芸術である、と林望が書いていました。そこで私は既に能をたくさん見て能を分かっている人の脳に直接アクセスし、その内的体験を自分の体験に出来ないものだろうか、と考えます。
努力して分かる丈高い芸術は、何も能だけではない、例えば、年末に日本人が好んで聴く第九。ベートーヴェンが晩年に作曲したものはいずれも丈が高く、恐らく人類の脳が到達し得た至上の境地の表現なんでしょうが、それが本当に理解出来ているのか私には自信が有りません。
先日も図書館からフルトヴェングラーの第九の名演のCDを借りて聴き大いに陶酔したのですが、浅薄な感動だったかも知れません。
真に音楽を聴き込んでいる人、例えば吉田秀和が、フルトヴェングラーの演奏を聴いている時の内的体験をデジタル形式に保存しいつでも好きな時にアクセスして追体験出来れば、この短い人生に於ける体験の質が飛躍的に高まるに違いない。
こんな夢のような事を考えたのです。


カントが、内的体験もまた現象に過ぎず物自体ではない、と書いています。
この場合、物自体は物理化学的作用という意味ではさらさらありません、体験不可能な物の本質のような意味だと思いますが、仮に物理化学的作用としてみても面白い。
私が旅チャリに乗っている時のあの感じ、あの内的体験、あのクオリアは、結局私の脳内での物理化学的な出来事が引き起こす現象に過ぎない、と読む訳です。それを電気信号として解読し、保存し、電気信号として再び脳に送り込み、体験する。このような研究が既に現在行われています。インターネット・エクスプローラなどのドル箱ソフトの開発者のひとり、ラメズ・ナム著「超人類へ!」によると米国防総省が推進しているそうですから、期待が持てます。(この本もご一読をお勧めいたします。人類は道具を使う事で生物としての限界を乗り越えて来ました。今、遺伝子操作や脳科学と情報工学が結び付く事により、人類は画期的な道具を手に入れつつあるのがよく分かります。人類が自らを超人類とする時代なのです。)


宮沢賢治は詩集の冒頭に、わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です と書きました。
我々は他人の内的体験という現象に興味を感じるので、文学を愛するのではありませんか?また、哲学の方面では、他人にも自分と同様の自我が存在するのか、という疑問を他我問題と呼んでいます。それは証明出来ないのです。
もし、他人の脳に直接アクセス出来たとしましても、他我問題の解決にはならない、という事は哲学好きの人なら分かるでしょう。
そういう事を含めた一切合切が自分の脳に映った幻かも知れないからです。
一歩譲って他人にも自我が有るとしましょう。
今死んでいく人の脳にアクセスが出来たとしても、死の直前までの内的体験しか知り得ません。
死からのちは、カントの言う物自体です。体験は出来ないのです。

我々は認識する際に物を加工しているのだから、物自体を認識する事は出来ないという不可知論のカントは、魂の不死を確信していました。
人間が道徳的に完成する為には永遠の時間を必要とするからです。
道徳の至上命令に絶対服従するのがカントの信仰、彼が人生の意味を自問自答する時の羅針盤でした。
私は、道徳も、そして、美意識も人類が社会的な生き物として進化していく上で形成された後天的な性質だと思っておりますので、カントのようにそれを神聖視する事が出来ません。
私は羅針盤を持ちません。私がカントから学ぶのは不可知論だけです。
宇宙の本質についての啓示は与えられてはいないと思っています。人類の脳では宇宙を理解する事は不可能です。それには宇宙大の脳が必要でしょう!
年の暮れにあたって、今年亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りいたします。そして、ここ京都の、日々冷え込みながら心を引き締めてゆくような季節のただ中で、自問をいたします。

私は何の為に存在しているのだろうか?


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永遠の節目節目のクリスマス旅チャリもまたそこを過ぎ行く

暮れながら浄まる如くゆく年の旅チャリに乗る冷えに冷えたり

太陽を巡る旅路の星の上旅チャリよ在れ千代に八千代に
posted by 旅チャリスタッフ at 06:00| 京都 ☀| 市内中心部 | 更新情報をチェックする
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