2012年02月03日

渡る世間が神様です

こんにちは、サトです。今日は節分だと言いますのに、初詣の句から入ります。

初詣終え職安へ初詣


このお正月に、失業中の方の身になって作りました。
私自身、前回の失業期間中、旅チャリスタッフの職を得るまでに、ハローワークで紹介された求人に応募して不採用になること3度、苦労をいたしました。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり、です。


私の大邸宅から嵐山の旅チャリデスクまでの通勤経路には、神社の鳥居が3つあります。
ご紹介しましょう。


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蚕の社(かいこのやしろ)、正しくは木島坐天照御魂神社。このしまにいますあまてるみたまのかみのやしろ、です。


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斎宮神社です。伊勢神宮へ奉仕する皇女が潔斎をした場所です。
竹林の道沿いの野宮神社と同じ由緒を持っています。

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車折神社(くるまざきじんじゃ)です。
ご祭神は平安後期の儒学者で、その才、神というべく、と讃えられた清原頼業(よりなり)です。
よりなり、という名から、金が寄り商売が成り、とかけて商売繁盛の神とされました。

鳥居は、俗界から、聖なる神域への入り口であります。


エミル・デュルケムは、すべての宗教には聖と俗との世界の二分化が認められる、と言っています。神がいない宗教もあります。死後の世界を問題にしない宗教もあります。
しかし、聖なるものを想定しない宗教は、ありません。

では、人間はこの聖なるものを、どこから見つけて来たのでしょうか。

デュルケムの答えは、社会、です。

1912年、と言いますからちょうど100年前、デュルケムの「宗教生活の原初形態」は書かれました。
今回、岩波文庫の上下巻を読み終えて、私の宗教観は概ね決定されてしまいました。
デュルケム自身は、オーストラリアで原始的生活を営む人々の中に入って暮らしたのではありません。
他人の記録を読んで、自分の論を進めています。


原始人が集団になって歌い踊り狂うとき、彼は普段の自分とは違った何か別の存在になっています。お互いが刺激し合い、エネルギーを注ぎ合い、高揚し、陶酔し、激昂して行きます。

現代人にも集団となって変容するこの感覚は分かります。
阪神タイガースが優勝すれば、ファンは狂喜して道頓堀に飛び込むではありませんか。
食うための物憂い労働の日々、これが俗です。集団になって、同じ感情の中で激しい行動を共にするとき、これが聖です。
すなわち、宗教とは集団がその構成員に吹き込むエネルギーであります。
構成員は、宗教から命令されると同時に、宗教により救われるのです。

難しいことは言わずに、神様にお参りをしようと思います。


節分の話題として、その年の恵方に向いて巻き寿司のまるかぶりをするという風習があります。
1970年代以降に関西で急に活気づいて来たものです。全国的にはあまり知られていなかった頃に、テレビのニュースステーションという報道番組で取り上げられていたのを視聴しておりました。司会の久米宏が、馬鹿じゃないの、とコメントしていたので、私も内心はそう感じてはいたのですが、はっきり言い過ぎだろうと、関西人として少しむっとしたのを覚えています。
バレンタインデーのチョコレートも同じやろ。昔の習慣の痕跡を掘り起こして、海苔なりかんぴょうなりの、新たな需要を創出した関西人に敬意を表すべきやろ。


立春の日に、その年の恵方に向けて電動アシスト自転車を走らせると1年間無病息災でいられるという新しい風習が流行らないものかなどと思います。
そもそも人間のやっている風習のすべては、馬鹿じゃないの、と言えば言えることでしょう。
未来人は現代人の生活を学んで、原始人にはいろいろと面白い風習がありました、と感心するかも知れません。


デュルケムは、宗教は科学が否定する何物も肯定出来ないし、科学が肯定する何物も否定出来ない、と結論の中で述べています。
ただ科学の上に立脚した宗教は、人間に社会的行動を指し示すことのみ許されるのです。
科学にはそれが出来ないから。


みなさん、何か新たな風習を地域に宣伝・布教するには、ぜひ旅チャリをご利用下さい。
旅チャリは、それが本望だときっと言うことでしょう。
何でやねん?
伝道アシスト自転車やから。


お客様は神様です。

今回のブログの締めくくりは、この言葉にしようと思い、このフレーズで有名な歌手、三波春夫のベストアルバムを先日図書館から借りて来ました。
そして「世界の国からこんにちは」まで聴いて涙が出て止まらなくなりました。
大阪万博の歌です。1970年の大阪万博に、子供だった私は連れていってもらったのです。
あれからもう42年過ぎた、その間に社会は随分と変化をした、私も年を取った、それでも私はまだ生きている、社会は私を殺しはしなかった。
渡る世間に鬼は無い、むしろ渡る世間こそが神様だ。
50歳まで生き延びた私は、社会に、渡る世間に感謝いたします。おおきに。今後ともよろしくお願いいたします。
非力ながらも精一杯勤めますから、どうぞよろしくお願い申し上げます。


真冬にも旅チャリを借る神います

立春は旅チャリ借りて福も外
posted by 旅チャリスタッフ at 06:00| 京都 ☀| 嵐山エリア | 更新情報をチェックする
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