2012年03月25日

トロイメライ

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春が来てまた抱き締める嵐山


サトです。皆様お変わりございませんか。
京都旅チャリスタッフになりましてからここ嵐山での3度目の春を迎えました。
待ち兼ねた春の訪れは、今年もまた心躍る美しさを嵐山にもたらしてくれるように思います。

先頃の休日に、家で寝転んでシューマンの「子供の情景」を聴いておりました。
13の小品を並べたピアノ曲集で、ちょうど真ん中の7曲目が有名なトロイメライです。

日本歌曲の「早春賦」は、モーツァルトの「春への憧れ」に似ており、また「知床旅情」に似られていることに気が付かれた人は多いでしょう。
これらの曲と一緒に、私はトロイメライを思い出します。
そう言えばシャンソンの名曲「ラ・メール」もとてもトロイメライに似ておりますが、それらのどれにも増してトロイメライは素晴らしい。
幸福でありながらも深い翳りを帯びたこの上なく夢幻的な旋律が、微妙にたゆたいながら綾をなして8回繰り返されるのです。

ドイツ語の字引には、トラウムは夢、トロイメンは夢見る、そしてトロイメライはライにアクセントが置かれるのですが、夢想、白昼夢の意味だと書いてありました。
夢は普通には映像ですけれど、音感の優れた人は夢を音楽として聴くことも有り得るのでしょう。
トロイメライほど夢そのものを美しく提示した芸術を私は寡聞にして知らないのです。
春に限らず常に現実よりも夢にさまよっている私は、そこで懲りもしないで、一句作りました。

目覚めてもトロイメライの春休み


今年度の最終ブログなのです。
涙の数だけ強くなれて何時の日か何時の日か花を咲かせて必ず最後に愛が勝つような、そんな人生応援ブログを書ければ良いのですが。
それを読み返せば、私自身が、強くなり何時か花を咲かそうと思い最後に愛が勝つと信じられるような、そんなブログが。

「自殺論」は、前回ご紹介いたしました「宗教生活の原初形態」の著者エミル・デュルケムの、もう一冊の名著だそうです。読んで見ました。
面白くて時間が過ぎるのを忘れていました。

こんな見事な論理展開に出会い息を呑むために私は生きているのだ、そして、これからもこの喜びを求めて私は生きようと思いました。
19世紀末の欧州に於ける自殺激増の社会をデュルケムは冷徹な科学者の頭脳で分析してくれます。一例として、欧州のどの国でもその当時自殺の最も多い月は6月、少ない月は12月なのですが、さて何故だか分かりますか。
日照時間の長さなのです。今ならば照明装置も行き渡り夜の社会活動も盛んなものではありますが、その頃の社会的な行動は主に昼間に行われていました。
自殺は社会的行動なので、社会生活が最も沸騰する時期に活発になるという法則を彼は見出だしたのです。
自殺と宗教との関係、結婚生活の与える影響、貧困そのものよりも経済状況の激変が持つ意味、などの鋭い指摘に感心しながら自殺をここまで客観的に解説されれば、とても自殺しようとは思わなくなります。

自殺は社会の産物です。社会的な生物としての人間のみが自殺をします。社会的な圧力は時として自己保存の本能を上回るからです。
現代の日本に於ける自殺は3月が多いのです。
3月は日本人が次の社会的ステージに進む為の準備をする月ですから。
進級、進学、就職、人事異動、企業決算、雇用契約更新など何かと緊張を強いられます。
自然が新たな活力を取り戻し生き生きと美しく装い始める3月という時季に、社会が個人の上に重苦しくのしかかり生物としての自己保存本能を凌駕してしまうのだとすれば、それは大変悲しむべきことのように感じます。
いつも努力しろとは誰も言いません。限度以上に我慢をするのは論外だと思います。
これは私自身に語りかけてもいるのですが、社会に押し潰されてはいけません。
むしろ社会を利用しなければいけません。
社会の有する共有財産の中から、例えばトロイメライを聴いて魂を慰め自殺論を読んで知的好奇心を満たし更なる人類文化遺産の有効活用を心掛けて生きましょう。

3月は自殺対策強化月間でございます。
卒業や離職などの、さよならの季節、グッド・バイの月ではありますが、この世に別れを告げるのは早計に過ぎます。
ドラマを楽しむということも大事であると思います。
何時でしたか、別役実の「いかけしごむ」という芝居を観ておりまして、その中のエピソードが大変気に入りました。
ある不条理な状況に追い込まれ途方に暮れた登場人物が、いのちの相談室に電話を掛けるのです。
聞こえてきた答えは、「死ね」でした。不条理劇はこのように世界を描いて見せてくれるのです。
誤解しないで下さい。実際のいのちの電話はもちろんこんな不人情ではないでしょう。

ただ、およそ世界は私の事情とは無関係に存在しています。
世界が時々私に対して「死ね」と呼び掛けているように感じることすら有るのですが、私はその状況をドラマの一場面のように解釈して楽しみます。
人生には決定的な答えが欠けています。
何の為にこの世界に産み落とされ最後には退場しなければならないのか、私には全く理解不能です。不条理劇に限らず、例えばシェイクスピアなどの優れたドラマは皆、この世界の意味を教えてはくれず、かえって世界の意味不明の構造を私に突き付けることで、人生の楽しみ方を教えてくれているように思うのです。
つまり人生は無意味なので解釈は私の自由なのです。
「死ね」という2音節の日本語の動詞の命令形の言葉の響きを、私は妙なる音楽のように聴くことも出来るのです。
まあこれは偏り過ぎていて人生応援ブログにはそぐわない意見かも知れませんね。
そこで今死んでは誠にもったいないという気にさせる極めつけの情報をお届けいたします。

今から8年後にドラえもんに出会えます。

米国の著名な発明家レイ・カーツワイルの本を読みました。
「ポスト・ヒューマン誕生 コンピューターが人類の知性を越えるとき」という題です。原題の直訳は、特異点は近い、となるのだそうです。
科学技術用語が難しくてよく理解出来ない箇所も多々有ったのですが、最後まで読み通して損の無い本だと思います。
彼は発明の成功にはテクノロジー進化の波に乗るタイミングが重要だと悟ります。
将来のテクノロジーの発展状況を予想して、それに適合した具体的発明のアイデアを練るのです。
現時点の技術水準では不可能な発明が技術の飛躍的進歩によって次々と可能な範囲に含まれて来ます。
発展の速度を研究して、例えば西洋将棋で人間のチャンピオンがスーパー・コンピューターに打ち負かされる時期を予言してほぼ正確に的中させました。
カーツワイルによればテクノロジーは加速度を付けて発展して行きます。
その成長曲線は指数関数のグラフのようだそうです。

最初、曲線の勾配は緩やかに見えますが、ある点を越えると急に勾配の度を高め、限りなく垂直線に近付いて行くあのグラフです。
彼はまた、テクノロジーの発展を生物進化の延長線上に捉えているのですが、地球上に生命が誕生してのちしばらくは、生物進化は緩慢に、あとになるほど急速になって知的生命たる人類が生じ、人類が作り出した文明もあとになればなるほど目まぐるしく発展してコンピューターが開発されます。
コンピューターの技術革新も同様の曲線の上に、すなわち加速度を付けて展開し、倉庫の大きさのものがポケットに収まるほどになり、とても実現出来そうになかったことがあれよあれよと言う間に実現して来ました。
そこでカーツワイルは言うのです。
今は、人間のように自分自身で考える人工知能は実現不可能に見えていても、あらゆる科学技術革新の動向から判断して、2020年頃には人間の脳と同等のコンピューターが出現していると。
のび太君がドラえもんに相談するように、コンピューターと語り合う時代がすぐ目の前に来ています。

まだ先が有ります。
一度自分自身で考える能力を獲得した人工知能は、優秀な情報処理能力で、人間の科学者に代わって人工知能を開発して行くでしょう。
そうなると人工知能の開発に更なる加速度が付き、指数関数的成長率の指数(n乗のn)そのものが指数関数的に増大して行きます。
2045年を特異点と彼が呼んでいるのは、その時点で人間の脳の能力の10億倍の能力を有する人工知能が生み出されていて、全人類が千年掛けてすることを、わずか一年で成し遂げるような、しかもその速度が無限大に限りなく接近するような、全く新しい時代が始まる時点だからなのです。

ロボットという言葉は、チェコの作家カレル・チャペックのドラマ「R.U.R」で初めて用いられたのです。読んで見ました。
自我に目覚めたロボットが反乱を起こし人類が滅ぼされる筋ですが、1920年の作品です。
カーツワイルの言う2020年はちょうどその100年後であることに気が付きました。

また、特異点の年2045年というのも大変覚えやすいですね。
人類が初めて核兵器を使ってからちょうど100年後です。
我々はロボットと友好関係を保ち、滅ぼされないようにしなくてはいけません。

レイ・カーツワイルの未来予想には、まだまだ先が有ります。
ヴィジョンの壮大さは、神話的、黙示録的と言って良いほどですが、ここではご紹介いたしません。読んで見て下さい。
自殺する気なんか吹っ飛んでしまうことは間違い有りません。
カーツワイルさんはこの特異点まで生きることを目指して(その時98歳です)科学技術の粋を結集して自分を長生きさせるプロジェクトに取り組んでいらっしゃいます。
私もまた出来る限り長生きをして、このドラマを長く見ていたいものだと考えます。
大変な時代の夜明け前に生きているのです。
たとえ人生が無意味だとしても夢のようなドラマになりそうですから!

さて、人生応援ブログになりましたでしょうか?

取って付けたようなエンディングをお許し下さい、これは旅チャリ宣伝ブログでございました。
先日、梅宮大社(うめのみやたいしゃ)の梅を見て参りました。
梅宮辰夫のお漬物屋はレストラン嵐山のすぐ近所に有りますが、梅宮大社には桂川沿いのサイクリングロードを旅チャリで走りまして約20分です。
この道は梅の季節が過ぎましてもお勧めいたします。
霞棚引く遠い眺めと、命芽生える近い景色を共に味わいつつ自転車に乗るのは、あまた有る生きる喜びのうちの一つであります。

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梅を見る真昼の夢を見る如く


旅チャリで梅見て来たよグッド梅
posted by 旅チャリスタッフ at 05:00| 京都 ☁| 全般 | 更新情報をチェックする
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