2011年12月29日

年末年始

嵐山よりスッシです。

年末年始、年中無休にて各旅チャリデスクは朝9:00〜17:00まで営業しております。

初詣で京都市内へお越しの際は是非旅チャリをご利用になってみてはいかがでしょうか。

嵐山周辺ですと野宮神社や車折神社などたくさんの寺社があります。

徒歩だと少し遠い、車だと交通渋滞や近隣の駐車場が満車ということも考えられます。

そのような事を考えれば旅チャリです!

皆様のご利用をお待ちしております。

A Happy New Year exclamation
posted by 旅チャリスタッフ at 18:30| 京都 ☀| 嵐山エリア | 更新情報をチェックする

2011年12月25日

No,I don't know it.

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クリスマス・ツリーの星のまたたきをあの時消えた人も見ている

メリークリスマス!旅チャリスタッフのミヤです。

この行事の巡って来るたびに魂の不死について考えてしまいます。
ご冥福を祈るというとき、その言葉が単なる形式的な挨拶でないのならば、魂の不死を前提に置いている筈です。
死は眠りに過ぎない、死んで眠って、ただそれだけなら。
いや、眠れば夢も見よう。

ハムレットの台詞です。
もし、死が全くの無であるならば、イエスが十字架上で死んだ事にも全く意味が無かった事になります。
私は信仰を持っておりませんので、この深刻な疑問については、タイトルのように答えるしか能がありません。


今回のブログのテーマは、能、にしようと思いました。
世阿弥の申楽談儀の中に同時代の役者の演技を絶賛して、冷えに冷えたり、と言っている部分を見付けました。このごろの京都の味わいを表すのにもぴったりの言葉でしょう。
華やかだった季節が過ぎて、今、京都という都会は冷えに冷えつつあります。
深刻な一年でしたが、どの年も暮れてゆくときには寂び切って、浄化されてゆくように思います。
冷えが心理に及ぼす効果です。


東急ホテルから堀川通りを南へ、西本願寺の門前を過ぎて七条通りで東に折れ、七条大橋で鴨川を渡って国立博物館と三十三間堂の間を旅チャリで走ります。
七条通りの突き当たりは智積院で、枯れ寂びた冬紅葉を横目に見ながら東大路通りを下がりますと、約20分で新熊野(いまくまの)神社に辿り着きます。
その境内に有ります能の石碑です。

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この場所で観阿弥と世阿弥の父子が能を演じたのを足利3代将軍の義満が目にとめ、大衆芸能だった能を支配層が珍重し始める機縁となります。
世阿弥はこの時わずか12歳、神童で、しかも絶世の美少年です。
風姿花伝に言う、時分の花の盛りの頃、10代の後半だった青年将軍に惚れられてしまったようです。
しかし、時分の花はまことの花ではありません。
加齢と共に衰える肉体の美を越えたまことの花を見出だして能を大成するための長い努力の道のりがここから始まったのですが、ところでこの真ん中に能と刻まれた石、人間の脳に似ていませんか?


若い頃、学校の事務員をしていた事があります。
備品の帳簿と現物との照合をする為、育児学教室担当で医師でもある教官の許可を得て研究室の隅をごそごそ探っている内に、昔も今も仕事にそつの無い私の事、脳のホルマリン漬けの標本を倒してしまったんですね。
強烈な刺激臭がしました。パニックに陥った私は、ホルマリンが全部外にこぼれたガラスの容器に、床に落ちた人間の脳を確か5つ、素手で拾って戻したのですが、あの時の重さと手触りは、私の脳の片隅に今でもくっきりと留まっています。
もし魂が不死だとしたら、あの時の私の行為を、かつてあれらの脳に宿っていた魂が見ていたかも知れない。
写真を撮れば心霊が、能面のような不思議な顔付きをして宙に浮かんでいるのが写ったかも知れない、などと思います。
能について何か書ければ良いと思いましたのに、脳の話になってしまいました。ごめんなさい。

今回、白洲正子の文章、吉越立雄の写真による「お能の見方」という本を読んだり眺めたりしている内、猛烈にお能が見たくなりました。
(これ名著です。ご一読をお勧めいたします。私も出来れば猛烈に旅チャリに乗りたくなるようなブログを作りたいのですが、力及びません、残念です。)

今まで能を見てもあまり面白いと思えなかった私も、機会が有れば見て味わいたいと思うようになったのですが、京都には能楽堂が多いとはいえ、切符はお安くはない。10曲ほどは見ていますが、それではとても足りないでしょう。
努力して初めて分かる、能はそういう芸術である、と林望が書いていました。そこで私は既に能をたくさん見て能を分かっている人の脳に直接アクセスし、その内的体験を自分の体験に出来ないものだろうか、と考えます。
努力して分かる丈高い芸術は、何も能だけではない、例えば、年末に日本人が好んで聴く第九。ベートーヴェンが晩年に作曲したものはいずれも丈が高く、恐らく人類の脳が到達し得た至上の境地の表現なんでしょうが、それが本当に理解出来ているのか私には自信が有りません。
先日も図書館からフルトヴェングラーの第九の名演のCDを借りて聴き大いに陶酔したのですが、浅薄な感動だったかも知れません。
真に音楽を聴き込んでいる人、例えば吉田秀和が、フルトヴェングラーの演奏を聴いている時の内的体験をデジタル形式に保存しいつでも好きな時にアクセスして追体験出来れば、この短い人生に於ける体験の質が飛躍的に高まるに違いない。
こんな夢のような事を考えたのです。


カントが、内的体験もまた現象に過ぎず物自体ではない、と書いています。
この場合、物自体は物理化学的作用という意味ではさらさらありません、体験不可能な物の本質のような意味だと思いますが、仮に物理化学的作用としてみても面白い。
私が旅チャリに乗っている時のあの感じ、あの内的体験、あのクオリアは、結局私の脳内での物理化学的な出来事が引き起こす現象に過ぎない、と読む訳です。それを電気信号として解読し、保存し、電気信号として再び脳に送り込み、体験する。このような研究が既に現在行われています。インターネット・エクスプローラなどのドル箱ソフトの開発者のひとり、ラメズ・ナム著「超人類へ!」によると米国防総省が推進しているそうですから、期待が持てます。(この本もご一読をお勧めいたします。人類は道具を使う事で生物としての限界を乗り越えて来ました。今、遺伝子操作や脳科学と情報工学が結び付く事により、人類は画期的な道具を手に入れつつあるのがよく分かります。人類が自らを超人類とする時代なのです。)


宮沢賢治は詩集の冒頭に、わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です と書きました。
我々は他人の内的体験という現象に興味を感じるので、文学を愛するのではありませんか?また、哲学の方面では、他人にも自分と同様の自我が存在するのか、という疑問を他我問題と呼んでいます。それは証明出来ないのです。
もし、他人の脳に直接アクセス出来たとしましても、他我問題の解決にはならない、という事は哲学好きの人なら分かるでしょう。
そういう事を含めた一切合切が自分の脳に映った幻かも知れないからです。
一歩譲って他人にも自我が有るとしましょう。
今死んでいく人の脳にアクセスが出来たとしても、死の直前までの内的体験しか知り得ません。
死からのちは、カントの言う物自体です。体験は出来ないのです。

我々は認識する際に物を加工しているのだから、物自体を認識する事は出来ないという不可知論のカントは、魂の不死を確信していました。
人間が道徳的に完成する為には永遠の時間を必要とするからです。
道徳の至上命令に絶対服従するのがカントの信仰、彼が人生の意味を自問自答する時の羅針盤でした。
私は、道徳も、そして、美意識も人類が社会的な生き物として進化していく上で形成された後天的な性質だと思っておりますので、カントのようにそれを神聖視する事が出来ません。
私は羅針盤を持ちません。私がカントから学ぶのは不可知論だけです。
宇宙の本質についての啓示は与えられてはいないと思っています。人類の脳では宇宙を理解する事は不可能です。それには宇宙大の脳が必要でしょう!
年の暮れにあたって、今年亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈りいたします。そして、ここ京都の、日々冷え込みながら心を引き締めてゆくような季節のただ中で、自問をいたします。

私は何の為に存在しているのだろうか?


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永遠の節目節目のクリスマス旅チャリもまたそこを過ぎ行く

暮れながら浄まる如くゆく年の旅チャリに乗る冷えに冷えたり

太陽を巡る旅路の星の上旅チャリよ在れ千代に八千代に
posted by 旅チャリスタッフ at 06:00| 京都 ☀| 市内中心部 | 更新情報をチェックする

2011年12月16日

師走

こんにちわ!
旅チャリスタッフのタジンです。

寒くなりましたね。
すっかり季節は秋から冬へと変わってしまった感じです。

こちらグランドプリンスホテル京都よりブログをお伝えするのも今年最後となりました。

12月も半ばを過ぎ、あと僅かで2011年も終わりです。

そこでこれから月末までに開催される洛北エリアで楽しめる催しをいくつか紹介したいと思います。

@冬至のかぼちゃ供養
12/22(木)
不思議不動院境内
10時から14時まで(当日のかぼちゃの接待は無くなり次第終了されます)
こちらの不動明王さまは、かぼちゃ大師と呼ばれ中風よけやぼけ封じにご利益があるそうです。

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プリンスホテルより北山通→堀川通→北大路通のルートで進み原谷方面へ向かって約40分程の道のりです。すぐ近くに京都屈指の観光名所金閣寺があります。
▲不思議不動院
拝観自由9時〜15時
075‐462‐6628


A終い天神
12/25(日)
北野天満宮境内
早朝から夕刻まで
今年最後の天神さんでは、正月用品なども店に並びます。招福息災の大福梅や祝箸、お屠蘇などの授与もあります。(有料)
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画像2011,1/19ブログより 場所はこちらで確認下さい
▲北野天満宮
拝観自由5時〜18時(冬は5時30分〜17時30分)
075‐461‐0005


B上賀茂手づくり市
12/25(日)
上賀茂神社境内
9時から16時まで
毎月第4日曜に開催される手づくり作品限定市。250店余りの店がたち並び観光客や地元の人達で賑わいます。
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場所は2010,8/5ブログを確認下さい
▲上賀茂神社
拝観自由
8時〜16時30分(11月〜3月は8時30分〜16時、土日祝日は16時30分)
075‐781‐0011

日程が合う方はどうぞおでかけ下さい。
これからの季節の京都は、観光客も少なくゆっくりまわれますよ。
静寂しきった寺院など独特の雰囲気を感じて頂けると思います。

皆様の足のおとも旅チャリで楽々と京都をめぐってみましょう!
posted by 旅チャリスタッフ at 19:23| 京都 ☔| 洛北エリア | 更新情報をチェックする
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